Page 264 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼僕等の前にもう少しだけ 明るい未来が降るように(Mr.childrenさよなら2001年より) まぁ@風邪絶好調中 02/9/10(火) 13:09 ┗安らかに… ひっきー 02/9/11(水) 0:10 ┗Re:安らかに… まぁ@風邪治り気味 02/9/11(水) 0:57 ┗Re:安らかに… ひっきー@タフガイ 02/9/11(水) 3:57 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 僕等の前にもう少しだけ 明るい未来が降るように(Mr.childrenさよなら2001年より) ■名前 : まぁ@風邪絶好調中 <piratemarko@yahoo.co.jp> ■日付 : 02/9/10(火) 13:09 ■Web : http://m.para.ne.jp/~marko/ -------------------------------------------------------------------------
もうすぐ昨年の悲しい事件から1年経ちます。 正直どこの国が良い悪いは言えないけれど、ああいう事件はどこのどんな偉人が言ったとしても、例え神の命令でも筋や道理が通るものではありません。 もちろんそれに報復することも。 時として拳の下ろし先のないケンカもあるんです、国同士というケースになったらそうも言っていられないのかもしれないけど。絶対に忘れてはいけないのは、そこに犠牲になった多くの人がいるということですね。 元西ドイツの首相の講演会に参加して、代表質問のみの質疑応答に代表でもないのに質問させてもらったことがありました。 その方は「平和とは政治的に優れた指導者と霊(宗教)的に優れた指導者がお互いに理解し、譲り合い、倫理的な価値観のさらに上にあるものを目指さなくてはいけない」と言っていました。 一軍人から一国の首相にまで昇った人間の人生が出した答えでした。 俺にはどんな可能性があるかわからないけど、その人が言う『倫理的な価値観のさらに上』っていう場所に、死の直前にでもいいから届くような人生を送りたい。 |
このメッセージを書き終わる頃には、一年という節目を迎えているだろうか…。 物事に善悪などあるのだろうか。少なくともここにいるちっぽけな人間には、物事の善悪など難しすぎて区別がつかない。人は皆自分がかわいい。それは防衛本能や、無意識の中の生命力といったものに支配されているからに違いない。だから人は時に、自分や自分の大切な物を守る為に他人を傷つけてしまうことがある。それを悪だと言う権利が誰にあろうか。 あの事件を、肯定することは決してできない。しかしまた、否定もできないと思う。では、私達に何ができるのかといえば、亡くなった多くの人々の霊を慰め、同じことを繰り返さない努力をすることだろう。憎しみは、さらに大きな憎しみを産み出すだけだ。報復や、復讐など、何の意味もないし、何の進歩にもつながらない。 『自分を殺しに来た敵を倒す最大の武器は、その敵と友だちになることだ』と、遠い昔にある武術家が言ったそうだ。 安らかに、安らかに、死んだ者も生ける者も、皆、安らかに…。 |
>あの事件を、肯定することは決してできない。しかしまた、否定もできないと思う。 いやいや善悪は決められなくても、あの事件を否定できなくはないと思うんだけど…。 アメリカのアフガン空爆も・広島長崎原爆投下も、日本の南京大虐殺も侵略戦争も、アパルトヘイトだってそう。 歴史の中でいまだに大きな過ちとして繰り返されそうなことはいっぱいあるんだけど、あの事件を否定しなかったら、広島市が毎年訴えてきている核兵器廃絶とかに対しても「原爆を否定できない」っていうのと同じような気がする。 強い言い方に聞こえたらゴメンね。 ('-') |
私が言いたいのはそういうことじゃなくて、世界の平和を本気で願うなら、今まで起きてきた数々の痛ましい事件も、全て肯定するべきだということ。肯定するというよりは、許すといった方がいいのかもしれないけど。 否定して、それをなんとかやめさせようとしても結局武力行使になってるのが今の現状。それでは問題は何一つ解決しない。たくさんの痛みや苦しみ、葛藤や矛盾、こういったものと闘わなければならないけど、相手の暴走を止めるのは、憎しみでも、説得でも、武力でもない。寛大な心と理解。 これは大きな出来事に関わらず、日常生活にも言えることです。ひとりひとりがこの自分という小さな世界を平和にすることができなければ、世界に平和はおとずれない。 伝わったかしら? |